ドキュメンタリー映画
『ユーリー・ノルシュテイン 《外套》をつくる』

 

ノルシュテイン未完の名作『外套』のなぞに迫るドキュメンタリー映画
親友・才谷遼監督が贈る”特報予告篇”

 
第十二回予告篇ZEN映画祭(2019年11月〜12月開催予定)は、「予告篇大賞」のノミネート作品第一号として、映画『ユーリー・ノルシュテイン 《外套》をつくる』の予告篇を招待することを決定しました。
「予告篇大賞」はその年公開された映画予告篇のナンバーワンを決めるコンペティション。予告篇を通じて多様で魅力的な映画の存在を広く紹介することを目的としています。2019年度の招待作品第一号として、現在公開中のこの映画をご紹介します。
 
 
 


 
 
『霧の中のハリネズミ』(1975年)や『話の話』(1979年)など、アニメーション史に残る不朽の名作を生み出してきたロシアのアニメーション作家ユーリー・ノルシュテイン。
その巨匠が、1980年の制作開始から40年近くかけても未だ完成に至っていない伝説の作品がある。ロシアの文豪ゴーゴリの同名小説を原作とした『外套(がいとう)』だ。

世界中のファンが待望している『外套』はなぜ完成しないのかー。

ノルシュテイン監督と30年以上の親交がある才谷遼監督が、テーマをその一点だけに絞り、このたびドキュメンタリー映画『ユーリー・ノルシュテイン 《外套》をつくる』を制作した。
 
 
 

 
 
『外套』の舞台は、帝政ロシア時代の首都サンクトペテルブルク。主人公の小役人アカーキー・アカーキエヴィッチは、出世は望まず清書の仕事だけが生きがい。
貧しい下宿暮らしの独り身で、身にまとうボロボロの外套は同僚らの嘲笑の的だった。
アカーキーはある時、意を決して外套を新調するが、追い剥ぎに遭い、失意のもとに亡くなってしまう。彼は幽霊となり夜な夜な街を徘徊し外套を探し回る・・・。
 
ノルシュテイン監督は、『外套』のテーマは「人間はみな平等」だと喝破する。
「富を得た人が偉いわけではない。苦しんでいる人がどうすればもっと楽に生きられるのか」
つつましく生きる人間にも、金銭的な豊かさや名声、権威を幸福の価値基準として強いる現代社会を痛烈に批判する。
 
今回のドキュメンタリー映画の撮影が行われたのは2016年6月のロシア。
才谷監督と撮影の加藤雄大氏、通訳の児島宏子氏の三人だけで、モスクワのノルシュテイン・スタジオなどを訪れ、一週間で集中して撮り終えた。
ノルシュテイン監督は、『外套』の舞台のペテルブルクへも才谷監督らと一緒に旅し、街を巡りながら、自ら物語の舞台をガイドしてくれた。
 
 
撮影クルーを家族のように歓待するスタジオの面々。壁には所狭しと『外套』や『話の話』のスケッチなどが貼られている。
ノルシュテイン監督は、制作中のアニメーション版『外套』の構想アイデアを惜しげもなく披露しはじめる。そこには、アカーキーの幼少時代のエピソード40秒など、原作にはないオリジナルシーンも。
 
 
切り絵画法を駆使して制作されるノルシュテイン作品。『外套』のラフスケッチや、アカーキーの帽子から垂れる小さなしずく一滴一滴まで、切り絵のパーツを一つ一つ丁寧に紹介。どのように作品は作られるのか、自作の撮影台も見せながら、制作の舞台裏を情熱的に語り尽くす。
 
 
 
 
 
 
 

 
 
40年近くにもわたって『外套』が完成しない理由としては、ソ連崩壊による経済的基盤の崩壊や、絶大な信頼を寄せていた撮影監督アレクサンドル・ジェコーフスキーが亡くなったことなどを挙げる。
 
そして、基本的に自分は早撮りタイプであり、決して撮影の行為自体が遅いわけではないことも強調。怠けていたわけでも、才能が枯渇したわけでもなく、「自分は理想が高すぎる」とも告白する。血の涙を流しながら、せっかく撮影したシークエンスをボツにしたこともあるという。
 
「絵コンテは出来ているのか」
「そのシークエンスはいつ出来るのか」
「ハッピーエンドはあるのか」
 
才谷監督は、ノルシュテイン監督へ忌憚なく単刀直入な質問を投げかける。そして時には涙も交え(酔っ払い)ながら、「みんな『外套』の完成を待っているという事実をあなたは理解していない!」と訴える。
 
「このような無礼な質問ができたのも、これまでの関係性があったからこそ」と才谷監督。
一方で、「悪いけど『外套』は出来ないと思っている」とも明かす。
数年前にノルシュテイン監督が体調を崩したことがあったといい、作品が完成しない可能性も念頭に、今回のドキュメンタリー映画制作に至ったという。
 
幾度となく日本とロシアを往復し、ノルシュテイン監督を日本へ招き、講演会やワークショップ、自身が企画した映画祭の審査委員長にも招いた。ノルシュテイン作品の魅力を紹介する出版も重ねた。
今回の映画は、長年親交を重ねてきた才谷監督だからこそ実現できた貴重なアーカイブであり、二人の友情物語でもある。

 
ドキュメンタリー映画の中では、人類の遺産ともいえる過去のノルシュテイン監督の名作もあわせて紹介され、これまでノルシュテイン作品に触れたことのなかった観客にも、予備知識なしで見られるノルシュテイン入門としても楽しめる内容となっている。
 
 
「両端子から生まれる放電こそが映画」
「映画は形と動きの芸術。筋の運びや展開、事件ではなく、雰囲気、明暗、空気感が大切」
「アイデアに支配されてはいけない」
「教訓的なフィナーレにはしない」
 
 
自身のアニメーション哲学を披露するノルシュテイン監督の言葉には、ものづくりに携わるすべての人々の参考になる金言、叡智もあふれている。
 
今回の映画制作を踏まえて才谷監督は、ノルシュテイン監督について、「思っていた以上にとんでもない人だった。芸術の到達点をつくろうとしている」と新たな魅力に気づいたという。
 
そして、「人生は捨てたものじゃない。ものをつくることは大変だけど、大変だからこそ楽しいということが画面から伝われば」と呼び掛ける。

 
 
個人的に『外套』の断片映像を初めて目にしたのは、2010年に東京新聞が神奈川県立近代美術館葉山館で主催した「話の話 ロシア・アニメーションの巨匠 ノルシュテインとヤールブソワ」展だった。
 
まだぼくが東京新聞の記者時代で、展覧会場では、『霧の中のハリネズミ』や『話の話』の制作プロセスや撮影台の展示とともに、『外套』の街の模型や断片映像の上映も行った。暗い街の内外で群衆が強風に吹かれながら歩む映像が印象的だった。
 
そのほか、東京芸大大学院映像研究科でアニメーション作家の山村浩二さんが催したノルシュテイン監督の講演会。はたまたNPO法人湘南遊映坐が主催している予告篇ZEN映画祭でも、ユーリー・ノルシュテイン監督特集上映「アニメーションの神様、その美しき世界」の予告篇を招待させていただいたこともあった。
 
 
NPO法人湘南遊映坐は毎年、小津安二郎監督ゆかりの北鎌倉の禅寺で、「予告篇ZEN映画祭」を主催している。
  
かつて近くに存在した松竹大船撮影所では、『東京物語』(1953年)をはじめ数々の名作が作られ、小津監督が暮らした自宅やお墓も地元には残っている。
そのようなご縁もあり、「みんなの小津会」という小津映画の魅力を未来へ継承する特集プログラムも同時に開催している。
 
2011年、東日本大震災が起きてから、湘南遊映坐は被災地で出張上映会を開催してきた。その際、小津安二郎とユーリー・ノルシュテインの併映イベントを企画したことがある。
 
当時、被災地ではボランティアによる上映会が他にも開かれていた。しかしそれらの殆どは、避難者の方々が楽しく明るい気持ちになる映画を、との目的から、シリーズものの喜劇映画や人気のキャラクターアニメを中心としたものだった。
 
もちろん、それらの上映作品を否定するものではないが、被災者の方々へ笑顔だけを押しつけているような気もして、釈然としない気持ちがあった。
 
現地で実際のニーズを伺いながら、劇映画とアニメーションの両巨匠、小津とノルシュテインの二本立て上映イベントを勇気を出して開いてみた。
 
上映作品は小津の『東京物語』とノルシュテインの『霧の中のハリネズミ』。両作品とも、世界の映画史とアニメーション史の最高峰として残る映像遺産、人類の遺産だ。
 
しかし、『東京物語』は戦後の家族の日常を描いた淡々とした作品で、決して愉快で明るい映画とは言えないし、登場人物が亡くなるシーンもある。
 
ノルシュテインも、アニメーション界でこそ神様とされる著名な存在だが、一般の市民にはまだまだ知られていない存在。映像詩とされる内容も、小難しいと拒絶反応を示されてしまうかも知れない。
 
でもそれらの懸念は杞憂に過ぎなかった。『東京物語』を見た観客からは、涙を流して「ありがとう」と感謝のお言葉をいただいた。『霧の中のハリネズミ』を見た子どもたちは、自然とスクリーンへ近づき、主人公のヨージックの動きにくぎ付けで夢中になっていた。両作品とも、余計な解説は何もいらなかった。
 
 劇映画の小津とアニメーションのノルシュテイン。芸術表現の双璧に立つ巨匠の二人は、表現手段こそ違えど、最小限に研ぎ澄まされた動きや言葉で、ありふれた日常の営みを徹底的に掘り下げ、普遍的な人類の叡智をつむぐ点では相通じている。時代と国境、世代、境遇さえをも超えて、名作には人々の心を潤す底力があると、あらためて思い知らされた経験だった。
 
 
連句アニメーション『冬の日』(2003年)では、トップバッターの発句を担当したノルシュテイン監督。ボロボロの衣をまとい、芭蕉と一緒に自然と戯れる風狂の医師・竹斎を描いた。ノルシュテイン監督は、「竹斎も詩人。だれでも詩人になれる」と語る。
『外套』のアカーキーも、『冬の日』の竹斎も、社会の価値観とは無縁に、ひたむきにものづくりを作り続けるノルシュテイン監督の姿と重なってみえる。
既にアニメーション版『外套』としては、20分以上の映像が存在している。今回、才谷監督が立ち上がり、現存する素材だけで、ドキュメンタリー映画を作りあげてしまった。

 
映画の予告篇には、映画本編の完成前に作られる「特報予告篇」という存在がある。いかに本編の本質をつかみつつ、創意工夫をして、その魅力を伝えるか。
予告篇ZEN映画祭を長年続けてきたが、通常の予告篇よりも、制約の中で作られた特報予告篇の方が面白い場合が多々あった。
今回の映画は、アニメーションの神様の才能に惚れ込んだ才谷監督が、親友へ贈った長編の”特報予告篇”ともいえるのではないか。
 
かつて文芸評論家の小林秀雄は、「古事記伝」を35年間かけて著した本居宣長を讃えた。宣長はこつこつと資金を貯めながら研究を続けて、自費出版した。
 
ノルシュテイン監督は、人々から期待され待たれていることが「恐怖」だという。40年近く作品づくりに時間を掛けているくらいで騒いではいけない。
 
制約は創造の賜物という考えもある。たしかに資金や締め切りの制約の中でこそ生まれる創造性もあり、完成させることの意義もある。しかし、そのような既成の価値観とはまったく無縁、別次元でつくられる『外套』のような作品にこそ、いま価値があるのではないか。
 
制作のプロセス自体を作品とみなすワーク・イン・プログレスという考え方もある。もはやノルシュテイン版『外套』は、その試行錯誤の制作過程を通して、私たちに想像する余白と楽しみを与えてくれている。
 
ノルシュテイン監督は既に、多くの名作を残してくれた。さらには、断片的ではあっても、『外套』の映像は存在する。才谷監督が長編の”特報予告篇”をつくり、ノルシュテイン監督の肉声により、未完の名作の構想と魅力を後世にも残してくれた。
 
これでもかと発破をかける才谷監督の執念が、ノルシュテイン監督の心の導火線に火を付けたのか。
今回のドキュメンタリー映画の予告篇のラストシーン。
ノルシュテイン監督自身が、『外套』の中での仕立屋とアカーキーとの7秒のシーンを情熱の塊のように再現して演じる。
 
「絶対に新しい外套を作ります。心配しないでください。絶対です!」

 
(文・岡博大) 
 
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映画『ユーリー・ノルシュテイン≪外套≫をつくる』(2018年、109分、才谷遼監督)
2019年3月23日から東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
 
公式ホームページ&予告篇  
 
才谷遼監督インタビュー